過去掲載の法話集です。どうぞご覧ください。

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  ・法話(21)


法話(21)

  《悪口》


   「何で私は悪口を言われるのだろう。

    悪口を言われることなどしていないのに・・・」

   という思いをされた方は多いのではないでしょうか。


   仏教では禁じられた十の悪行の中に「悪口(あっく)」

   「両舌(りょうぜつ)」があります。

   悪口は、汚いののしりの言葉です。

   両舌は、陰口や人の仲をさく言葉です。

   お釈迦様は

   「言葉の怒りをまもりて、言葉を慎むべし。

    言うべからざるをすてて、言うべきを言うべし。」

   とおっしゃっています。


   悪口は、どんなことをしても言われます。

   そんな時、平常心で、むしろ言った人を憐れむほどの

   心の豊かさがあれば、悪口は去り、成功や幸せが近寄ります。


   一方、悪口を言う人は進歩のない人と言えます。

   いずれ惨めさという不幸が訪れます。


   どちらが良いのか自明の理と言えるでしょう。


   また、悪口をいつまでも気にして苦にもする人も多いでしょう。

   他人から言われた悪口を忘れず思い出しては、悔しく苦しい思いを

   するのは、愚かと言えます。


   でもいつかは、忘れようとしても思い出せないという時が

   やってきます。


   悪口は自分に嫉妬している言葉と受け取り、できる人だから言われると

   思ってみては如何ですか。

   こんなことに捉われず、毎日を大らかな気持ちで生きてみませんか。


   日々心豊かに生きること、これが「幸せ」なのではないでしょうか。


   あなたの幸せを祈っています。


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法話(20)

  《欲の見方》


    原因があるから結果がある。

    当然のことです。

    仏教では、原因と結果の間のつながりを縁といいます。


    良い原因は、良い縁ができて、良い結果を生みます。

    悪い原因は、悪い縁が寄り付き、悪い結果となります。


    人生に良いものと悪いものとの違いはなんでしょう?

    どうすれば違いがわかるのでしょう?


    お釈迦様は、違いは「欲」によると教えています。

    良い欲とは、自分の身の丈に合ったものを云います。

    悪い欲とは、高望みのことを云うのでしょうね。


    その結果は推して知るべしです。

    「少欲知足」(少ない欲は足ることを知る)

    つまり、自分に合った欲は、満足できるということです。

    満足しない欲は、自分に合っていないとも言えますね。


    欲が自分に合っているか、合っていないか、

    どうすれば分かるのでしょう?


    それは自分と身の回りを良く観察することで解決します。

    自分のことは鏡に映して観ることです。

    決して思いで判断してはいけません。

    身の回りは、冷静に見ることです。

    現状を偏りなしに判断することで理解できます。


    欲は、一度立ち止まって良く観察することで、

    自分に合ったものにすることができます。

    それ即ち良い結果、つまり幸せの第一歩です。

    幸せに生きるも不幸せに暮らすも、自分の心がけ次第です。


    あなたの幸せを祈っています。


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法話(19)

  《行いから心を見る》


    やっとご法話が書けるようになりました。

    大震災以来、救護・支援が当たり前になり日常と少なからず

    離れていました。


    大変なことがあると、人の心がよくわかります。

    心は不思議な存在です。

    目には見えませんが、行いであり様がわかります。

    自分の持ち物なのに、自分の思い通りにはなりません。


    見得の心があると、無駄に身を飾ります。

    邪まな心があると、計算づくで人と付き合います。

    ひとりよがりな心があると、必ず嫌われます。


    幸せに生きるも不幸せに暮らすも、心次第です。


    大震災で苦しく辛い思いをした人は、

    いつまでもその心に捉われると幸せになれません。

    人の心を考えない人も幸せになれません。

    ガレキの放射能を心配するあまり、

    被災地の苦しみを考えない人

    声高にガレキは子供の将来を失くすという人

    被災地の人は、そのガレキの中で生きているのに・・・


    思いやる心を失くした人は、見苦しく見えます。

    忍び寄るのは、不幸せでしかありません。


    心がけ次第で決まる、「幸せ」「不幸せ」。

    だれからも良く思われる行いをしたいものです。

    幸せのために・・・・・


    あなたの幸せを祈っています。


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法話(18)

  《禍を幸せに》


    新年、明けましておめでとうございます。

    「禍(わざわい)のない、良い年でありますように」と

    皆様どなたもが、念願されていると思います。


    しかし、なかには自ら禍を招くような生き方をしながら

    「良いことがありますように」と祈られている方もいるでしょう。

    昔の言葉に「禍を転じて福となす」という言葉があります。

    これはよく使われますが、どういう意味でしょうか。

    出来た人は、事があった時、良くも悪くも反省します。

    だから次に良くないことが起きても、好転させることが

    できる智恵があるという意味です。

    決して、棚からぼた餅のような、良いことが起きるという

    ことではありません。


    日蓮大聖人も

    「三十三の厄は三十三の幸いとなる」とおっしゃっています。

    ぬか喜びをしてはなりません。

    きちんと祈り、ちゃんと祈りが可能になる行いをするなら、

    「幸い」となるのです。


    たとえば、

    健康になりたいと祈りながら、暴飲・暴食。

    お金持ちなりたいと祈りながら、散財やギャンブル。

    人から良く思われたい、友達が欲しいと祈りながら、人の悪口。

    仕事が欲しいと祈りながら、まじめに仕事も家事もしない。

    幸せになりたいと祈りながら、テレビで他人の不幸をおもしろがる。

    これでは、祈りどころではありません。

    神仏ですら呆れてしまいますね。


    心から祈り、一生懸命生きる人に、

    「禍は転じて福」や「厄は幸い」となるのです。


    どうかこのことを年の始めに、心に刻みつけて下さい。

    「反省する心」・「敬虔な祈り」・「素直な行い」

    これがあれば、必ず幸せになります。


    あなたの幸せを祈っています。


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法話(17)

  《地獄・極楽(浄土)ってどこにあるの?》


    地獄ってことば、極楽(浄土)ってことば

    誰もが一度は聞いたことがあることばですね。


    でもそれってどこにあるのでしょう。


    地獄は土の下?

    極楽は雲の上?


    悪いことをしたから地獄?

    良いことをしたから極楽?


    あなたはどちらに行くのですか?


    日蓮聖人様はこうおっしゃっています。

    「浄土(極楽)といい、穢土(地獄)というも

     土に二つの隔(へだ)てなし。

     己(おの)が心の善悪によると見えたり。」

    つまり、地獄や極楽は別々の所にあるのではないよ。

    人が住んでいる所が、いつでも地獄になったり

    極楽になったりするものですよ。

    住んでいるその人の心がけ次第で変るものなのですよ。

    という意味です。

    「地獄」を不幸せな家庭、「極楽」を幸せな家庭

    とするなら分かりやすいですね。


    現実を見て下さい。

    今生きている時代は同じでも、家庭のあり様は違いますね。


    あなたの心がけ次第で、幸せにも不幸せにもなるのです。

    どうせなら自分も家庭も幸せになりたいですね。

    いつでも、どんな所でもなれるのです。


    だから、我がまま・見栄・意地こんなものはいりません。

    「素直さ」だけが、幸せの切符です。


    あなたの幸せを心から祈っています。


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法話(16)

  「やまない雨・・・と、幸せになれない・・・人」


    テレビで「やまない雨はない」という

    実話を本にしたドラマが放送されていました。


    主人公は元・気象庁の職員です。

    夫婦で病を経験され、

    その結果、きずなの強い夫婦となります。

    しかし運命とは、時に残酷なもので、

    奥様は病で急死してしまいます。


    奥様は死を覚悟して、夫のために様々なことを残しますが

    夫は妻の死を受け止められず苦しみます。

    いわゆる「愛別離苦」ですね。

    愛している人と別れる苦しみです。


    夫はうつ病にまでなり、精神科に入院しますが、

    そこで学んだことは、自分は独りではないということです。

    人はたったひとりで生きているのではなく

    多くの人に支えられて生きているということです。

    そして目標があるから生きられるということです。


    人が生きる目標とはなんでしょうか?

    人によって違うという人もいるでしょう。


    人が生きる目標とは「幸せ」になることではないでしょうか。

    その「幸せ」の形が、人によって違うだけではないですか?


    このドラマの夫は、幸せの形が変化したことを理解しました。

    でも幸せという目標は変わらないことも覚りました。

    すべてを覚った時に、妻の幻が現れます。

    妻は夫に聞きます「あなたは今、幸せ?」

    夫は答えます「充分、幸せだよ。」

    その答えで妻の幻は消えます。まるで安心したように・・・


    そうです「やまない雨はない」と同じで

    「幸せになれない人はいません」


    あなたの幸せを心から祈っています。


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法話(15)

 《幸せの三ヶ条》


    平成22年になりました。

    皆様はどんなお正月を迎えられました?

    今年はどんな年になってほしいですか?


    こんな質問を受けたら、あなたは何と答えますか?

    「あなたは何のために生きていますか?」


    人は幸せのために生きています!

    ホッとしたり、自然に笑顔がでたり、居るだけでも楽しい、

    笑い声、楽しいおしゃべり、暖かさや温もり、

    自分を理解してくれる人、

    理解してあげたい誰か・・・・・

    幸せの情景ですね。


    今のあなたにありますか?自分に合った幸せが・・・

    自分に合った幸せを造りましょう。


    そう、幸せは待ってるものでなく、

    自分の努力で造るものです。


    まず、自分は幸せになる!なれる!と信じてください。

    次に、幸せになりたいと真剣に必死に願ってください。

    その次に、あなたがその時できること、たとえ小さなことでも

    精一杯行ってください。

    この三つで必ず幸せになります。


    もし不幸せと感じたら、まず素直になってください。

    そしてなにが不幸せの原因になったか考えてください。

    そしてもう一度信じることから始めてください。


    人は生きています。だから幸せも不幸せもあります。

    不幸せと感じたら、一からやり直せばいいのです。

    何も考え込むことはありません。

    人生は何度でもチャンスがあるのですから・・・


    あなたの幸せを祈っています。


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法話(14)

 《不幸せの種?》


    幸せの種はいっぱいあります。

    いろいろな書物にも書かれています。


    でも不幸せの種ってどんなものでしょう?

    だれでも持っているのでしょうか?

    例えば、不幸・不貞・不倫・忘恩・・・

    今流行の不正。

    まだまだありますね。意地や見栄、強情や強欲。

    恨(うら)みや嫉(ねた)み。

    あり過ぎて、きりがありませんね。


    でも、このいっぱいある不幸せの種。

    種だから、いずれ実がなりますね。


    不幸せの実。考えただけで恐ろしくなりませんか?

    なぜなら、蒔いたあなたに実がなるのですよ。


    これを仏教では「因果応報(いんがおうほう)」といいます。


    古い歌に

     「麦蒔けば 麦がなるぞや 何ごとも

         人は知らねど 種が正直(しょうじき)」

    そうなのです。あなたが蒔いた不幸の種は、

    必ずあなたに、不幸の実となって返るのです。

    たとえあなたが忘れていても・・・


    自分が他人にされて、いやだと思うこと。

    他人がこうされたら、いやだと思うこと。

    これが不幸せの種ですね。


    こんな種を蒔けば、

    自分に、種より大きな実となって返ってくる。

    当たり前です。


    こんな種より、幸せの種を蒔きたいですね。


    あなたの幸せを祈っています。


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 法話(13)

  《幸せはこんなところに》


      さがしものは

      さがすときほど

      なかなか 見つからない


      やっと見つかると

      なんだこんなところに

      あったのかと思う


      なんだこんなところに

      あったのかと思う

      ほんとの忘れもの


      それは あなた自身です

      なんだ こんなところに

      あるのが あなたです


    こんな詩がありました。

    なぜ人は自分を忘れるのでしょう。

    自分を忘れる理由ってなに?


    ときにはこんなことを考えてみてはいかがでしょう。


    自分を忘れる理由

    それは 自分の中にあります。

    見栄・意地・面子いっぱいありますね。


    あって悪いものではありません。

    しかしありすぎると災いの元です。


    見栄がありすぎると人を軽んじます。

    意地はありすぎると強情になります。

    面子を重んじすぎると現実から遠ざかります。


    なにごともほどほどがいいのです。

    ほどほどにあると幸せになる努力が生まれます。


    あなたの幸せを祈っています。


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 法話(12)

  《幸せは自分をふり返ることから》

    ・・・のようで・・・なのが・・・


      冷たいようで 温かいのが 人の心

      浅いようで 深いのが 心の傷


      やりつくしたようで やり残したと思うのが 人生

      やり残したようで 最後に納得するのが 人生


      隠したつもりで 隠し通せないのが 嘘

      低いようで 高いのが プライド


      近いようで 遠いのが 故郷


      小さいようで 大きいのが 欲

      大きいようで 小さいのが 度量

      強いようで 弱いのが 意志

      簡単なようで 難しいのが 正直


      しつこいようで あっさりしているのが 女

      あっさりしているようで しつこいのが 男


      うっとおしいようで 安心できるのが 親

      励ましてるようで 励まされてるのが 友


      悲しいようで 嬉しいのが 娘の結婚


      凡人のようで 案外偉人なのが 母

      凡人のようで 実際凡人なのが 父


    こんな詩がありました。

    なかなかおもしろいと感心しませんか?

    それとも思い当たることがありますか?

    この詩を読んで、自分をふり返ってみてはいかがでしょう。

    直すべきときには直す。

    幸せの第一歩です。


    あなたの幸せを祈っています。


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 法話(11)

  《幸せは考え方から》

    ・・・幸せは誰がくれるの?・・・


    あなたは幸せですか。

    あなたは不幸せですか。

    「幸せ」と「不幸せ」の境目はどこ?


    幸せの判断・度合いは人によって違います。

    自分がそう思ったからという人。

    他人とくらべて他人より自分の方がまだ良いと思ったから。

    なんとなく世の中の平均よりはましと思うから・・

    使えるお金があるからという人。

    幸せの決め方もまちまちですね。


    本当の幸せって何か基準があるのでしょうか?


    辛いことがあると幸せとは思いませんね。

    でも辛いことが無ければ辛くないことのあり難さはわかりませんよ。


    辛く・苦しく・不幸せと思えることが無いと

    本当の幸せはわかりません。


    幸せは辛かったり、苦しかったりの経験をした人の果実です。

    過酷な自然を耐え抜いて、美味しい実をつけた果物と同じですね。


    幸せは自分の頭の中で作るものではなく、

    自分の経験から得られた温もりです。


    今、辛い人、苦しい人。

    あきらめないで下さい。

    次に待っているものは「幸せ」という温もりです。

    もうすぐですよ!


    あなたの幸せを心から願っています・・・


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 法話(])

  《希望は命をまもる》

    ・・・自ら死を選ぶのは我がまま・・・


    人はなぜ生きているのでしょうか。

    人を生かしているのは何なのでしょうか。

    人が生きているのは「希望」によってであると言えます。


    私たちは「希望」によって生きています。

    「希望」の可能性を見失った状態を「絶望」と言います。

    この絶望の状態になると二つの選択肢だけになります。

    一つはあらたな希望を捜し求める方法。

    もう一つは死を選択するかです。


    今日、自殺する人は非常に多く

    もはや新聞のネタにもならないほどです。

    多かれ少なかれ、

    人は「死にたい」と一度は考えたことがあるものです。

    しかし死んだら何にもならないと思いとどまるのが普通です。

    つまり新しい希望を探しはじめるわけです。


    全ての宗教は自殺を禁じています。

    なぜなら、自分が自殺することによって

    どれほど多くの人々に辛い思いをさせ、

    どれほど多くの人々を不幸にするかを知っているからです。


    自殺をする人は、自分の思いに振り回され、

    人々を不幸にすることは考えていません。


    自殺を考えたことのない人を見つけるのが難しいほど、

    人生というのは過酷なものです。

    しかしその過酷な人生を生き抜いていかなければなりません。

    苦しみの人生の中から悟った真実は、必ず幸せに導きます。


    苦しみから逃げないで下さい。

    苦しみは幸せの素となります。

    苦しい時こそ、希望を探して下さい。


    あなたの幸せを心から願っています・・・


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 法話(\)

  《節目の月に親子のあり方を学ぶ・・・》


    春は卒業や入学の季節です。

    卒業されるお子さん、入学するお子さん、そしてご両親、

    おめでとうございます。


    例えば、小学校の時を思い浮かべて下さい。

    6年前に入学した頃は、ランドセルが歩いているようでした。

    今卒業になり、子供たちは身も心も大きく成長しました。

    お父さんやお母さんのお気遣いは並々ならぬものがあったでしょう。


    他人の子供より、自分の子がかわいいのは当然です。

    それは、自分の生命を相続してくれる存在だからです。

    生命を相続してくれる自分の子供を憎いと思う親はいません。

    かわいいからこそ、健全に育って欲しいという願いを持ちます。


    親の願いだけで子供が健全に育つという訳ではありません。

    親は、

      子供は自分のもの。

      自分の分身だから、自分の思う通りに育てたい。

    という気持を持ちます。

    しかし、子供には各々人格があります。

    ですから親の思い通りにはなりません。

    子供は親の所有物ではないのです。


    子供を教え導くには、

    まず親が人生の規範とならなければなりません。

    たった一度しかない人生を心ゆたかに生きるためにも、

    親は子を観て反省の心を学び、

    子は親を規範として、心素直に成長する。

    こういうことに努力する姿勢が大切です。


    節目にあたって、親子の幸せな生き方を考えてみませんか。


    あなたの幸せを心から願っています・・・


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 法話([)

  《一年の計は元旦にあり・・・》


    平成20年となりました。

    新年明けましておめでとうございます。


    一年の計は元旦にありと申します。

    今年一年、皆様はどう生きるか、またはどんな良いことがあるかと

    心浮き立つ年の始まりです。


    昨年の暮れに京都・清水寺でその年を表す漢字一字を大きな紙に

    書いていたのをニュースで見たのでないでしょうか。

    平成19年という年は「偽」という文字でした。

    「にせもの」「いつわり」という意味です。

    嘘・偽りの年とは、何と情けない社会でしょう。

    しかし嘘や偽りと判るのは、嘘や偽りが簡単に暴かれる事柄だからです。

    嘘や偽りは長続きせず、結局は大損するものです。

    つまり嘘や偽りは愚か者のする行いです。


    愚か者にならない生き方とはどんな生き方でしょう。

    自分の信念に従い、いつ何時も精一杯生きること

    それが賢い生き方と言えるのではないでしょうか。

    真実を大事にして、こころ素直に生きる生き方こそが、

    人の生きる道です。


    こころ素直にすれば、誰からも尊敬され

    こころ素直にすれば、余計な悩みから開放され、

    こころ素直にすれば、運命も好転します。


    つまらない意地・見得を捨てて、

    嘘や偽りを自分から遠避けて、

    こころ素直に生きてみませんか。

    心ゆたかな人となるためにも・・・


    あなたの幸せを心から願っています・・・


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 法話(Z)

  《できるとなったのちがい?》


    「フィールド・オブ・ザ・ドリーム」という映画を

    ご存じですか?

    アメリカ映画で、主人公に天の声がささやきます。

    「それを作れば彼らはやってくる」

    何を作れば、誰がやってくるのか・・・

    主人公は分らないまま「それ」捜し求めます。

    やがて「それ」は野球場ではないかと思い、畑をこわして

    野球場を作ります。

    やって来たのは、亡くなった大リーグの名選手達、

    そして他界した主人公のユニフォーム姿の父親でした。

    これは幽明の境を隔てた親子の再会の物語です。


    「池成れば月おのずから来る」

    池を作れば、池の面に月の光りは自然にやってくる。

    それは、何かをしたら何かを必ず成就することが「できる」

    というのではなく、何かをしたら自然にそれが叶った、成就した

    という意味です。


    何かを成すのに、一から計算されたものは、

    得てして誤算が多いものです。

    その時、人は嘆き、はたまた何かのせい、誰かのせいに

    したがるものです。

    そうすればする程、その人の価値は下がります。


    ただひたすらに、人のために自分の力を尽くす

    その結果、巡り巡って「なった」となるわけです。

    自然とその人の価値は上がるものです。

    心ゆたかな人となるためにも・・・


    あなたの幸せを心から願っています・・・


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 法話(Y)

  《支えられて生きる》

   ・・・エゴイストにならないために・・・



      人はただ一人では生きられない

      多くの人や、者に支えられ

      生かされることによって生きている

    私たちはともすれば自己中心的に生きてしまいます

    エゴイストに陥りやすいものです

    何ごとも自分中心に判断しがちにもなります

    そうした原因は

     貪(とん)「あらゆる欲望」

     瞋(しん)「つまらないことに立腹する」

     痴(ち) 「正しい判断のできない愚かさ」

    という煩悩によって災いの種となるからです


    私たちは自分ひとりの力で生きているかのように

    いつも錯覚をします

    三つの原因を反省しないからです


    いかに偉大な人でも、一人の力では生きられません

    また自然の恩恵なしにも生きられないのです

    そうした支えや恩恵を

    仏教では「縁」といいます

    そのご縁を忘れがちになり、当り前だと錯覚をします

    そうすると不満だらけで、他人を信用しなくなります


    生きることがつまらなくなるのは

    生かされている「縁」を忘れてしまうからです

    今までの生き方をちょっとだけ反省してみましょう

    他人の恩や自然の恩恵を感じて

    はじめて生きることが楽しくなります

    それが幸せのスタートです


    あなたの幸せを心から願っています・・・


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 法話(X)

  《他人を愛することは自分を愛する》

    ・・・あなたは本当に自分を愛していますか?・・・


    三月は春です。

    春は芽をふく季節です。

    命が始る季節とも思われます。

    自然に春を愉しみ、全ての命をいとおしく思う季節です。


    では自分はどうですか?


    自分とは自(みずか)らの分を生きることです。

    じぶんのものという意味ではありません。

    じぶんを愛する人は、

    誰にもじぶんがあると知っているなら、

    人を物や言葉で傷つけることは

    じぶんを傷つけることだと気付くはずです。

    わたしだけが満たされればいいと思うなら、

    その人は本当にじぶんを

    大事にしていることにはなりません。

    じぶんだけが満足すればいいと思っている人は

    当然、人を愛してはいません。

    すなわち、じぶんも愛してはいません。


    人や物を愛するこころは

    じぶんも愛することができます。

    じぶんだけが満足するこころは

    必ず人を苦しめることになります。

    また、人を愛して苦しいという人は、

    じぶんのことしか考えていないと言えます。

    人を愛するこころが芽生えると

    それは春をよろこぶこころと同じと言えます。


    幸せは人を大事に思い

    いとおしく思うこころから始ります。


    あなたの幸せを心から願っています・・・


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 法話(W)

  《年の初めは生き方の初め》

    ・・・生き方は今のままでいいのですか・・・


    一年の初めがやって来ました。

      「お正月だからといってもねエ」

    と、言いながらごろ寝をしている人が多い世の中です。

    あなたにお尋ねします。

      「今年こそはこうしよう!」

      「今年こそはこれをしないようにしよう!」

    過去、お正月を迎えるたびにこのように思ったことはありませんか?

    そしてそれは、達成されましたか。


    何故 お正月に誓いを立てようとするのでしょう?


    それは、人は何かを区切りに生き方を正そうとする心があるからです。

    常に反省し、そして自分が理想とする生き方を求めているからです。

    あなたの理想とする生き方はありますか?

    あなたの生きる目標や指針は何ですか?


    法華経には人の生きる目標が示されています。

      「一心欲見佛」(いっしんよくけんぶつ)

    今風に直せば、佛とは幸せのことです。

    つまり、ただひたすらに幸せになりたいと願うこと

    これが人の生き方の目標です。


    人は誰もが幸せになりたいと、いつも思っています。

    だから何かを区切りに生き方を変えようと考えるのです。

    でも、せっかく発起しても

      「まっ いいか」

    では、幸せが遠ざかり、今の不満だけが残ります。

    自分が理想とする、望んでいる本当の幸せをつかむため、

    今年こそは、ごろ寝ではなく、何かを行なうお正月にしませんか。

    当り前のことが当り前のように行なえる

    そんな生き方をしてみませんか。


    あなたの幸せを心から願っています・・・


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 法話(V)

  《幸せを求めて》

    ・・・幸せをつかみたいと思ったら・・・


    秋は空気がすがすがしく感じます。

    食べ物も美味しく感じ、

    生きていく中で幸せな季節でもあります。

    しかし、世の中には「幸せが得られない」と

    なげく人にとっては、秋は辛い季節です。

      「なぜ幸せになれないの?」

    自問自答しても、答えはありません。

    あなたにお尋ねします。

      「あなたの幸せは何ですか?・・・」

      「あなたはどうなれば幸せと思いますか?・・」

    自分の本当の幸せを考える人は少ないのです。

    多くの人は、愚痴を言うだけです。

      「あなたは幸せをつかむ努力をしてますか?」

    愚痴を言うだけでは、幸せは遠ざかります。

    あなたの愚痴を聞いた人は

    あなたの本当の価値を知りません。

    なぜなら、愚痴を言うことは、

    自分で自分の価値を落すことだからです。

    とても愚かなことです。


    法華経には、人の生き方を

      「質実意柔軟」(しちじきいにゅうなん)

    であるべきと書かれてあります。

    素直で心にわだかまりを持つことなく

    何事にも執着するな。という意味です。

    幸せになりたい人は

    まず、幸せになりたいと心から願って下さい。

    意地や見栄やこだわりをやめて下さい。

    そして素直に生きる努力をしましょう。

    小さなことでも、自分以外の人のために

    自分ができることをしましょう。

    その積み重ねが、幸せを呼ぶことになります。


    あなたの幸せな笑顔を祈っています・・・


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 法話(U)

  《幸せないのち》

    ・・・どう生きたらいいのか 迷ったら・・・


    夏の暑さもやっと収まり、

    爽やかや風が空をわたる季節となりました。

    山も川も海も秋の気配です。

    秋風は自然と物思いを起こさせます。

    楽しい考えなら良いのですが・・・

    物思いは、悩みを引き連れます。

    誰もが、なかなか解決できず

    なかなか良い案が思い浮かばないのが

      「どう生きるか・・・」

      「なぜ生きているのか・・・」

    いのちはどのような理由で

    誰によって何のためにあるのかは

    誰もが考え、誰もが悩みますが、わからないのです。

    でも、せっかく授かったいのちですから、

    そして限りあるいのちですから、

    無駄に、ダラダラと生きてはつまらない一生となるでしょう。

    法華経には

      「不自惜身命」(ふじしゃくしんみょう)

    と書かれてあります。

    人の生き方は、身や命を惜しむなという意味です。

    日蓮大聖人は

      「臨終のことを習ろうて、後に他事を習うべし」

    いのちは限りがあります。

    一時たりとも無駄にしてはいけません。

    と、おっしゃっておられます。

    若い人は「生きていてもツマンナイ」と簡単に言います。

    楽しさも、

    生活の充実感も、

    いのちの躍動感も、

    勝手にやって来るものではありません。

    無駄に生きず、懸命に生きてこそ、

    やって来るものです。

    その人に、幸せは微笑むのです。


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 法話(T)

  《やすらぎ》

    ・・・大切な人を 失った あなたへ・・・


      「親を亡くすと過去を

        配偶者を亡くすと現在を

         わが子を亡くすと未来を失う」と言われています。


    最愛の人を亡くした悲しみは計り知れません。

    別れの衝撃に 一時は何も感じなくなり

    その後に本当の悲しみに襲われます。

    何も手につかない、人に会いたくない、

    言い知れぬ寂しさと孤独感、

    時として怒りの感情や自責の念に

    かられることもあるでしょう。

    しかし、それは人として自然なことなのです。

    あなたの悲しみが深ければ深いほど

    あなたは人に対する優しさを知り、

    慈悲の心にめざめることができるのです。

    日蓮大聖人様は

      「この法華経を信じる人々は

       たとえ他人であっても

       同じ霊山浄土でお会いします。」

    とおっしゃっておられます。

    姿形は見えなくとも、

    亡き人は愛するあなたの心に生きつづけます。

    あなたのそばに亡き人がいつも存在することを信じて

    お釈迦様の教え法華経のお題目を唱えて下さい。

    必ず心がやすらぎます。

    あなたが苦しいとき

    あなたが悲しいとき

    亡き人はあなたに勇気を与え、

    あなたの生きる道を示してくれるでしょう。

    あなたと亡き人を心でつなぐ

    それが南無妙法蓮華経のお題目です。


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