仙寿院の沿革
【宗派】日蓮宗
【経典】妙法蓮華経(法華経)
【本尊】大曼陀羅御本尊(幸せなる霊山浄土という世界を文字で顕したもの)
【本師】久遠実乗本師釈迦牟尼佛(永遠不滅で仏としてのお釈迦様)
【開祖】日蓮大聖人
【開宗】建長5年 [西暦1253年]
【題目】南無妙法蓮華経
【祖山】身延山・久遠寺(山梨県身延町)
【教えの概略】法華経が最上の教えと信じ悟り、その教えを唱えて幸福を祈り、教えに従って自分のための行い(自行)と、自分以外の人のための行い(化他)をするなら、必ず世界が平和となり自分も本当の幸せを得ることができるということ。
仙寿院の歴史
当院は釜石市街を一望にできる小高い丘にあります。「日ヶ沢」上にあることから、山号を日澤山と云います。寺号の仙寿院は、元は千葉県印旛郡弥富村月ヶ谷(現佐倉市)にあった寺院の塔中の小寺を移転したもので、そのまま寺号としていることから「院」となっています。
当院は文明19年(1487年)に仙寿院日瑞上人によって、現千葉県佐倉市に開かれた日蓮宗の寺です。明治25年(1892年)千葉県茂原市にある本山藻原寺貫主荒居養壽師が、釜石の法華信者から招聘されて現釜石市浜町に布教所を開設いたしました。その布教所に布教師として従事したのが越中富山出身で東京池上の大本山本門寺塔中厳定院住職・細野錬進師でした。細野師は明治40年(1907年)、不断の釜石布教の結果檀信徒の帰依多く、また当時の財閥・安田善次郎氏の多額な寄進もあり、現在の地に仙寿院を移転建立されました。
古来より祈祷の寺として知られ、日蓮宗の祈祷の守護神・鬼子母神や龍神、大古久天(大黒天)や稲荷大明神、子安鬼子母神等が祀られています。大漁祈願には今も遠く大分県や千葉県からの漁師も訪れます。
釜石開山後の第7世芝﨑惠璋師の代になり、戦後の荒廃していた当院を立て直すべく奔走し、昭和44年(1969年)本堂庫裏を新築し、時の日蓮宗管長・総本山身延山法主藤井日静大僧正を迎えて落慶大法要を厳修、寺観を一新し布教に専念、多くの檀信徒の集う処となっています。
しかし第7世芝﨑師は昭和48年、師匠たる本山妙顕寺・石原日精師の遷化の折り遺命により本山の貫主となり、現在は法嗣芝﨑惠應師が第11世を継承し、社会福祉を念頭にした布教と事業を展開しております。
後継者の無い方のためには永代供養塔(久遠之塔)、墓地を持てない方のためには合葬墓(慈恵陵)を建立し宗派の別無く多くの人たちに開放しております。特に葬儀社と共に身寄りの無い方々のために殆ど無償で行なう「福祉葬儀」も行なっています。
客殿を一般に開放し、各種サークルや集会に使っている他、定期的な仏教学の講座、写経会なども行なわれ、寺院の本来の姿を追い求めています。
寺宝として安田財閥より寄進された文殊菩薩像の掛軸や、江戸初期の鬼子母神像、江戸中期の四天王像等、多くが格護されています。
夏には灯篭流しが行われますが、大震災前は海上で行っていましたが船の理由から現在は大渡町の甲子川で行っています。
大震災では釜石で一番多くの避難者を受け入れ、その教訓を伝えるべく津波避難行事「韋駄天競走」も行われています。
また夏の花火大会には市街を一望できることから、絶好の観覧場所となっています。
日蓮宗 日澤山 仙寿院
(にちれんしゅう にったくさん せんじゅいん)
◆ 岩手県釜石市大只越町二丁目9番1号
◆ 電 話 0193(22)1166
◆ 住職(第11世)芝﨑 惠應(しばさき えのう)